数学的帰納法はなぜ演繹法なのか

数学的帰納法はよく演繹法だと言われるけど、なぜなのかを私なりに考えてみました。
論理学では、帰納法の反対は演繹法となっています。つまり、数学の定義である数学的帰納法演繹法なはずです。でも、一つだけ気になる点があります。
よくある次の問題を見てみましょう。

\displaystyle\sum_{k=0}^n (2k+1)=(n+1)^2

これは数学的帰納法で証明できるけど、重要なのは右辺の式はすでに与えられていることです。普通、数学的帰納法を使いたいときは、まず右辺の式を予測しなければいけません。n=0のとき1、n=1のとき4、n=2のとき9、…と計算していって、あるときに「これは平方数の数列なんじゃないか」と気づきます。そうしてから、数学的帰納法を使います。つまり予測できないと、永遠に数学的帰納法で証明できません。でも、個々の結果から一般の式を予測するのは、帰納法と呼ばれています。果たして数学的帰納法演繹法帰納法、どっちなんでしょうか。
私の考えでは、数学的帰納法演繹法でもあり、帰納法でもあると思います。つまり、証明する部分を数学的帰納法と呼ぶなら、演繹法になり、予測して証明する二つを合わせて数学的帰納法と呼ぶなら、帰納法になるんだと思います。(演繹法帰納法が混ざった推論は帰納法になります。)
人の考え方は、矛盾したハイブリッドのエンジンで動いてるのかもしれません。